日時:7月2日(日) |
今回は、東京湾で盛んにおこなわれていた、海苔の養殖の歴史についての講座を開催いたしました。品川区のお隣、大田区にある大森 海苔のふるさと館の職員の方にお越しいただきました。
東京湾での海苔の養殖は、江戸時代中期、享保年間に品川から大森の地域で盛んにおこなわれていました。この地域は、当時、海苔が育ちやすい環境の条件がそろっており、明治から昭和初期にかけては、生産量や生産額が日本一にもなりました。
さて、皆さん、海苔の旬はいつごろかご存じでしょうか。
実は、冬なのです。しかし、海苔は、ぬるぬるとしたものですので、手袋などをしてしまうと、上手く収穫ができません。そのため、冷たい海水に素手を入れ、海苔を収穫していたのです。また、収穫後は、海苔を天日干しする前に、細かく裁断(海苔切りと言います)し、切った海苔を水に溶き、四角い枠の中に流し込む海苔付けを行います。海苔は天日干しで乾燥させますが、日の出の時刻には外に出せるよう、午前1~2時ごろから海苔切りを始めていたそうです。。冬場は毎日のように海苔を収穫しますので、深夜からの作業を毎日繰り返していたのです。また、春から秋にかけても他の作業がありました。海苔づくりは、大変な重労働だったのです。
海苔生産で栄えていたのですが、高度経済成長期の環境汚染や東京オリンピック開催、東京の港を開発する計画などにより東京の海苔生産者は一斉に漁業権を放棄することになりました。そして、1963(昭和38)年の春に最後の海苔採りをして東京での海苔養殖は終わりをむかえました。かつて海苔養殖で日本一を誇った東京には、現在海苔生産者は1人もいらっしゃいません。しかし、大森には、現在でも海苔問屋が多く残っており、日本全国に約200軒ある海苔問屋のうち、約50軒が大森にあります。
大田区から日本全国に海苔づくりが広まり、有明海をはじめ、瀬戸内海や三河湾、松島湾でも行われています。千葉県や神奈川県でも少数ではありますが、現在でも東京湾で海苔生産をされている方もいらっしゃいます。そのため、大森は「海苔のふるさと」とも呼ばれております。
講座の後半では、実際に生海苔、乾海苔、焼海苔を見比べてみました。今回は、現在、日本国内で最も食べられている、スサビノリをお持ちいただきました。
海藻には、大きく分けて3種類あり、海苔は紅藻類と呼ばれます。生海苔や乾海苔は赤色に近い色をしていました。普段食べる海苔とは異なる色、形をしており、驚かれる方もたくさんいらっしゃいました。
左より、焼海苔、乾海苔、生海苔
現在では、東京の目の前の海で海苔の養殖をする風景は、なくなってしまいましたが、海苔の養殖が日本で最も盛んに行われていた大森の昔の姿を思い浮かべることのできる講座となりました。
近年、魚による食害や海水に含まれる栄養分がさがることで、海苔の収穫量が減ってしまうことがあるそうです。
海苔は私たちにとって、毎日のように見る身近で欠かせない食べ物です。だからこそ、この文化を大切にし、継承していくこと、また海の環境を守ることが重要なのだと思いました。
(事業担当)
~編集後記~今回、お持ちいただいたスザビノリは、磯の香がして本来であれば、食用にできるものでしたが、ワークショップでみなさまに、海苔を観察したり触ったりしていただいた為、こちらの海苔は、エコルとごしにあるコンポストに入れ、肥料として菜園デッキで使用する予定です。